軍用地の返還について | 軍用地投資ブログ

2020年12月18日

沖縄の軍用地について徹底解説。今回は本土復帰後に返還・統合された軍用地をはじめ、今後の返還計画について、分かりやすくご説明いたします。

 

 目次

 - 沖縄返還協定と本土復帰

 - 返還される基地、されない基地

 - 現在までの返還状況

 - 今後の基地返還計画

 - この先、軍用地は減っていくのか?

 

沖縄返還協定と本土復帰

 

前回のブログでお話ししたとおり、1960年代以降の沖縄では、軍備増強を行う米軍によるさまざまな問題が表面化するにつれて、反戦・反米運動が本格化。国内外の世論の高まりもあり、1972年に念願の祖国復帰(沖縄の日本復帰)を果たすことになりました。

この返還に関する協定は、通称「沖縄返還協定」と言われるもので、調印は1971年6月17日。東京とワシントンとで同時開催された調印式は衛星中継され、多くの国民がその様子を見守りました。が、しかしながら、琉球政府側の代表である屋良朝苗主席は、問題の主体である沖縄側の意見が反映されていないとしてこれを欠席。最後まで「沖縄不在」のまま、協定が結ばれることになりました。

こうして米国民政府による沖縄統治が幕を閉じると、同時に、軍用地使用の法的根拠としていた布令「賃借権の取得について(布令20号)」も、その効力をすべて消失。復帰以降は、日米安保条約ならびに地位協定にもとづいて運用されることになりました。

なお、どの基地が継続使用され、どの基地が返還されるといった具体的な取極めについては、沖縄返還協定に付属して締結された「基地に関する了解覚書」にくわしいので、次の項ではそのあたりについて解説していきたいと思います。

 

1972年5月15日、日本政府主催の沖縄復帰記念式典で式辞を述べる屋良朝苗知事。

1972年5月15日、日本政府主催の沖縄復帰記念式典で式辞を述べる屋良朝苗知事(沖縄県公文書館所蔵)。

 

返還される基地、されない基地

 

沖縄返還協定に付された「基地に関する了解覚書」では、現存する基地施設が下記3グループ(A表・B表・C表)に分けられました(参照:沖繩返還協定及び関係資料/外務省、米軍基地環境カルテ/沖縄県)。

 

A表 88か所(継続運用される基地)※自衛隊等への移行を含む


 

- 01 北部訓練場(旧:北部海兵隊訓練場)
- 02 阿波訓練場(地位協定第2条4(b)の使用)
- 03 川田訓練場(地位協定第2条4(b)の使用)
- 04 奥間レスト・センター(旧:同名)
- 05 伊江島補助飛行場(旧:同名)
- 06 八重岳通信所(旧:同名)
- 07 慶佐次通信所(旧:慶佐次ロランA・C送信所)
- 08 瀬嵩訓練場(旧:瀬嵩第一訓練場/地位協定第2条4(b)の使用)
- 09 キャンプ・シュワブ(旧:キャンプ・シュワブ、キャンプ・シュワブ訓練場、キャンプ・シュワブLST繋留施設)
- 10 辺野古弾薬庫(旧:同名、辺野古海軍弾薬庫)
- 11 キャンプ・ハンセン(旧:同名、キャンプハンセン訓練場)
- 12 久志訓練場(旧:同名/地位協定第2条4(b)の使用)
- 13 恩納通信所(旧:恩納ポイント通信所)
- 14 キャンプ・ハーディ(旧:キャンプ・H・F・ハーディ)
- 15 恩納サイト(旧:恩納ポイント陸軍補助施設)
- 16 屋嘉訓練場(旧:同名)
- 17 ギンバル訓練場(旧:同名、嘉手納第3サイト)
- 18 屋嘉レスト・センター(旧:同名)
- 19 金武レッド・ビーチ訓練場(旧:同名)
- 20 金武ブルービーチ訓練場(旧:同名)
- 21 ボロー・ポイント射撃場(旧:ボロー・ポイント射撃場、嘉手納第1サイト、ボローポイント陸軍補助施設、読谷第1陸軍補助施設)
- 22 嘉手納弾薬庫地区(旧:嘉手納弾薬庫、比謝川サイト、波平弾薬庫、読谷合同廃弾処理場、陸軍混成サーヴィス群弾薬庫、知花弾薬庫、嘉手納ヴォルタック施設、嘉手納タカン施設、東恩納弾薬庫)
- 23 知花サイト(旧:知花陸軍補助施設、喜名無線中継所)
- 24 石川陸軍補助施設(旧:同名)
- 25 読谷陸軍補助施設(旧:読谷第2陸軍補助施設)
- 26 楚辺通信所(旧:楚辺海軍通信補助施設、楚辺方向探知東サイト)
- 27 読谷補助飛行場(旧:同名、中野サイト)
- 28 天願桟橋(旧:同名)
- 29 キャンプ・コートニー(旧:同名)
- 30 天願通信所(旧:天願戦略通信所)
- 31 キャンプ・マクトリアス(旧:同名)
- 32 キャンプ・シールズ(旧:同名)
- 33 キャンプ・ヘーグ(旧:同名)
- 34 平良川通信所(旧:同名)
- 35 波平陸軍補助施設(旧:波平サイト)
- 36 トリイ通信施設(旧:楚辺トリイ・ステーション、楚辺戦略通信所)
- 37 嘉手納飛行場(旧:同名、キャンプ・サンソネ、陸軍住宅地区)
- 38 嘉手納住宅地区(旧:同名)
- 39 砂辺倉庫(旧:同名、空軍家具修理所)
- 40 砂辺陸軍補助施設(旧:砂辺サイト)
- 41 カシジ陸軍補助施設(旧:カシジ・サイト)
- 42 コザ通信所(旧:コザ無線中継所)
- 43 キャンプ桑江(旧:同名)
- 44 キャンプ瑞慶覧(旧:同名、キャンプ・フォスター)
- 45 瑞慶覧通信所(旧:瑞慶覧通信所(瑞慶覧C地区))
- 46 泡瀬通信施設(旧:泡瀬通信補助施設、泡瀬海軍航空通信所)
- 47 西原陸軍補助施設(旧:西原第1陸軍補助施設)
- 48 ホワイト・ビーチ地区(旧:ホワイト・ビーチ港海軍施設、勝連半島地区、ホワイト・ビーチ貯油施設、嘉手納第2サイト、西原第2陸軍補助施設)
- 49 泡瀬倉庫地区(旧:泡瀬弾薬庫)
- 50 久場崎学校地区(旧:キャンプ久場崎)
- 51 普天間飛行場(旧:普天間海兵隊飛行場、普天間陸軍補助施設、普天間海兵隊飛行場通信所)
- 52 キャンプ・マーシー(旧:キャンプ・マーシー(牧港H地区))
- 53 キャンプ・ブーン(旧:キャンプ・ブーン(牧港J地区))
- 54 牧港倉庫(旧:沖縄リージョナル・エクスチェンジ倉庫)
- 55 牧港サーヴィス事務所(旧:ポスト・サーヴィス・オフィス)
- 56 牧港補給地区(旧:同名)
- 57 牧港補給地区補助施設(旧:第7心理作戦部隊倉庫、牧港海軍倉庫)
- 58 牧港調達事務所(旧:調達事務所)
- 59 浦添倉庫(旧:陸軍戦略通信部倉庫)
- 60 工兵隊事務所(旧:西太平洋工兵隊事務所)
- 61 牧港住宅地区(
旧:牧港・那覇住宅地区(那覇H地区))
- 62 那覇冷凍倉庫(旧:沖縄リージョナル・エクスチェンジ冷凍倉庫)
- 63 ハーバーヴュー・クラブ(旧:同名)
- 64 那覇港湾施設(旧:那覇軍港)
- 65 那覇サーヴィス・センター
- 66 那覇空軍・海軍補助施設(旧:同名)
- 67 那覇サイト(旧:那覇陸軍補助施設)
- 68 知念第1サイト(旧:知念第1陸軍補助施設)
- 69 知念第2サイト(旧:知念第2陸軍補助施設)
- 70 新里通信所(旧:同名)
- 71 知念補給地区(旧:陸軍混成サーヴィス群地区)
- 72 与座岳航空通信施設(旧:同名)
- 73 与座岳サイト(旧:与座岳第1陸軍補助施設)
- 74 与座岳陸軍補助施設(旧:与座岳第2陸軍補助施設(サイトAおよびB))
- 75 南部弾薬庫(旧:同名)
- 76 陸軍貯油施設(旧:キャンプ桑江第1および第2貯油施設、金武湾第1、第2および第3貯油施設、天願ブースター・ステーション、キャンプ桑江ブースター・ステーション)
- 77 鳥島射爆撃場(旧:琉球射爆撃場)
- 78 出砂島射爆撃場(旧:同名)
- 79 久米島航空通信施設(旧:同名)
- 80 久米島射爆撃場(旧:同名)
- 81 浮原島訓練場(旧:浮原訓練場/地位協定第2条4(b)の使用)
- 82 津堅島訓練場(旧:同名)
- 83 前島訓練場(旧:同名/地位協定第2条4(b)の使用)
- 84 黄尾嶼射爆撃場(旧:同名)
- 85 赤尾嶼射爆撃場(旧:同名)
- 86 宮古島ヴォルタック施設(旧:同名)
- 87 宮古島航空通信施設(旧:同名、宮古島NDB施設)
- 88 沖大東島射爆撃場(旧:同名)

 

B表 12か所(自衛隊基地・その他に引き継がれる基地)


 

- 01 恩納サイト(航空自衛隊へ引継ぎ)
- 02 知花サイト(知花陸軍補助施設のみ陸上自衛隊へ引継ぎ)
- 03 ホワイト・ビーチ地区(西原第2陸軍補助施設のみ陸上自衛隊へ引継ぎ)
- 04 那覇サイト(航空自衛隊へ引継ぎ)
- 05 知念第1サイト(陸上自衛隊へ引継ぎ)
- 06 知念第2サイト(航空自衛隊へ引継ぎ)
- 07 与座岳航空通信施設(航空自衛隊へ引継ぎ)
- 08 与座岳サイト(陸上自衛隊へ引継ぎ)
- 09 与座岳陸軍補助施設(サイトAのみ陸上自衛隊へ引継ぎ)
- 10 久米島航空通信施設(航空自衛隊へ引継ぎ)
- 11 宮古島ヴォルタック施設(運輸省へ引継ぎ)
- 12 宮古島航空通信施設(航空自衛隊および運輸省へ引継ぎ)

 

C表 34か所(全部または一部が返還される基地)


 

- 01 那覇空港
- 02 三和NDB施設
- 03 那覇空軍・海軍補助施設(日本国政府が使用する部分のみ)
- 04 那覇第2貯油施設(与儀貯油施設)
- 05 那覇ホイール地区
- 06 ホワイト・ビーチ地区(日本国政府が使用する部分のみ)
- 07 奥訓練場
- 08 瀬嵩第2訓練場
- 19 本部採石所
- 10 本部補助飛行場
- 11 石川ビーチ
- 12 渡嘉敷陸軍補助施設
- 13 羽地陸軍補助施設
- 14 嘉手納第4サイト
- 15 大木サイト
- 16 赤道サイト
- 17 久場サイト
- 18 コザ憲兵隊支署
- 19 コザ憲兵隊詰所
- 20 泡瀬防空待避所
- 21 那覇憲兵隊詰所
- 22 楚辺方向探知西サイト
- 23 宮古島ロランA送信所
- 24 キャンプ・シュワブ訓練場(約104万3100㎡)
- 25 キャンプ・ハンセン(約39万600㎡)
- 26 キャンプ・ハンセン訓練場(約17万7400㎡)
- 27 東恩納弾薬庫(約94万7100㎡)
- 28 キャンプ・コートニー(約39万6200㎡)
- 29 キャンプ・シールズ(約60万3000㎡)
- 30 キャンプ・へーグ(約5万3600㎡)
- 31 キャンプ久場崎(約6万4700㎡)
- 32 与座岳航空通信施設(約7万2600㎡)
- 33 久米島航空通信施設(約4万4500㎡)
- 34 宮古島航空通信施設(約9万7700㎡)

 

復帰と同時に返還された石川ビーチのゲート(1967年当時の様子)。

復帰後に返還された石川ビーチのゲート(1967年当時の様子/沖縄県公文書館所蔵)。

 

以上を見てもお分かりいただけるように、主要な基地・施設はほとんど返還されず、実質的には復帰前とあまり変わらない状況が示され、県民が望んだ「本土並み」という理想からは大きくかけ離れたものでした。

とはいえ、軍用地の管轄は米軍を離れ、復帰と同時に関係省庁に移行。米軍基地および自衛隊基地は防衛施設庁(現:防衛省)、那覇空港は運輸省(現:国土交通省)に、軍用道路は建設省(現:国土交通省)と沖縄県にそれぞれ移管されました。

しかしながら、約3万人にもおよぶ地主との契約を短期間で結ぶことは困難と考えた国は、「沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律」を公布し、復帰後も国が引き続き公用地として使用する土地について、5年を限度に強制的に使用できるという措置をとりました。このような形で政府が使用権原を取得した背景には、返還時ほとんどの土地が地籍未確定であったため、従来の法律を当てはめることが不可能だったということがあげられます。

それからさらに5年後。国と地主との賃貸借契約は未だ完遂されておらず、打開策として政府は新たに「地籍明確化法」を施行。未確定状態の地籍調査を進めるとともに「沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律」の延長を図り、着実に契約作業を進めていきました。

 

現在までの返還状況

 

前述のとおり、復帰後も多くの基地が残された沖縄ですが、県では基地の整理・縮小を最重要課題と位置づけ、引き続き日米両政府に対して強く訴えかけました。

その結果、1973年1月の第14回日米安全保障協議委員会(以後「SCC」と表記)では、那覇海軍航空施設および那覇空軍・海軍補助施設の全部、牧港住宅地区の一部について返還合意。さらに翌年1月の第15回SCCでは48事案、1976年7月の第16回SCCでは12事案の全部または一部の返還について了承され、合計63事案の返還および移設が進められることになりました。

そのほか、1990年6月の日米合同委員会において、県知事から要請のあった3件、SCCで了承されたものの未実施状態の9件、軍転協(沖縄県軍用地転用促進・基地問題協議会)から要望のあった8事案、さらには米国側が返還を容認した3事案の合計23事案について、返還に向けた手続きがはじまることが確認されました。

こうして2017年3月末までには、約10,000haの土地が返還されたわけですが、実際には追加提供された部分もあるため、復帰当時の基地面積の約66%が未だ残されたままの状態に。沖縄県が公表しているデータをもとに、返還状況を分かりやすく下表にまとめてみましたのでご覧ください(参照:沖縄の米軍基地/沖縄県)。

 

日米安全保障協議委員会(SCC)における返還了承事案の進捗状況。

日米安全保障協議委員会(SCC)における返還了承事案の進捗状況。

 

以下は、1990年6月19日に行われた日米合同委員会での確認事案(通称:23事案)の、2017年12月時点における返還状況です。

 

1990年6月19日の日米合同委員会で確認された23事案の返還状況。

 

今後の基地返還計画

 

ここまで過去の基地返還について説明してまいりましたが、ここから先は今後の基地返還・縮小の計画について、お話ししていきたいと思います。

現在検討中の米軍基地縮小・統合などの事案は、基本的に1996年の「沖縄に関する特別行動委員会(SACO:Special Action Committee on Okinawa)」による最終報告が下敷きとなっております。また、2013年には、嘉手納以南の土地の返還について、より具体的な返還スケジュールが明記される形で統合計画が公表されました。

以下は、2020年の防衛白書に記載のある嘉手納飛行場以南の土地の返還状況です。

 

嘉手納飛行場以南の米軍基地・施設の返還状況の一覧。

 

上記の返還予定はあくまで見込みではありますが、どの施設がどのような状況にあるのか、そしてまた今後どのように変化してくのかを知っておくことは非常に重要です。

返還スケジュールについては、日米関係の動向や政局によって延期となることも少なくないため、投資対象となる施設を検討中の方は、ぜひ注視していただければと思います。沖縄の地元紙である「沖縄タイムス」や「琉球新報」には、軍用地関連の情報も多く掲載されるので、気になる方は購読してみるというのもひとつの手といえます。

 

この先、軍用地は減っていくのか?

 

以前の記事でもふれましたが、軍用地のほぼ唯一ともいえるリスクは、基地返還による価値下落です。となると、必然的に気になるのは「今後、さらに多くの軍用地が返還されるのか?」という点ではないでしょうか。実際にそういった質問をお客様からいただくことも多いです。

こうした問いに対して、現時点での私の個人的見解を申し上げるとするならば、その可能性は非常に低いだろうと言えます。というのも、以前の記事でお伝えしたように、基地にはそれぞれ管轄と役割があり、過去に実現された基地の整理・縮小は、そうした条件を巧みにクリアする形で行われてきたわけです。

逆に言えば、今日運用されている施設はいずれも重要度が高く、米軍からすれば簡単に放棄するわけにはいかないものばかりともいえるので、現時点で返還が予定されている施設を除き、返還されるリスクは低いと考えられるのです。

もちろん、何事にも100%はありえませんから、特に軍用地投資初心者の方は、より返還リスクの低い施設を選んで投資されるとよいでしょう。

 

次回ブログへと続きます。

 

…ということで、今回もまた長くなってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。各施設の返還予定を頭に入れておくことで、ご自身の投資計画に合った施設を選定することができますので、ぜひ参考にしていただければと思います。

次回からは、なぜ今、軍用地投資が人気なのか。その理由をはじめ、軍用地投資ならではのメリットについて、よりいっそう掘り下げてお伝えしていければと思います。

それではまた、次回のブログをお楽しみに!

 

参考文献)

- 一般社団法人沖縄県軍用地等地主会連合会ホームページ

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